京城日報 1942-05-24
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- Publication date
- 1942-05-24
- Collection
- kjnp-archive; newspapers; eastasia-periodicals
- Language
- Japanese
- Item Size
- 65.3M
Japanese newspaper published in Korea until 1945. Includes early issues under title 京城新報 and 朝鮮日報
- Addeddate
- 2021-10-03 13:33:38
- Identifier
- kjnp-1942-05-24
- Identifier-ark
- ark:/13960/t49q5jm8c
- Ocr
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- Page-progression
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- Ppi
- 400
- Scanner
- Internet Archive Python library 2.1.0
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Reviewer:
tpjv86b
-
February 25, 2022
Subject: 国語を知らぬは皇民として恥辱
Subject: 国語を知らぬは皇民として恥辱
内鮮一体は「国語」から
国語を知らぬは皇民として恥辱
厳然と語る石川亀鶴さん
四つになったばかりの幼児までが国語を常用するという頼もしい”国語の家”。桃花町四〇麻浦鉄道医務室嘱託医石川亀鶴氏(四一)宅を訪れると食膳の支度に余念のないこの家の主婦水仁さん(三七)はエプロン姿のまま流石に流暢な言葉で「いらっしゃい」と迎えてくれた。
家族は青葉国民学校高等科一年の長女英姫ちゃん(一四)、元町国民学校五年の次女仙姫ちゃん(一二)、麻浦国民学校三年の長男秀山君(一〇)、同一年の次男秀雄君(八つ)、三女春姫ちゃん(六つ)、それから蘭姫ちゃん(四つ)の平和な八人暮らしである。
患者治療の寸暇を割いて”国語の家”の部隊長石川氏は国語常用の動機を左の如く語った。
私は国民学校を経ずに中学校へ進んだ為に『国語も解らぬ馬鹿者だ』と随分先生から虐められました。こうした辛い経験をしたので子供から口をきく頃から全面的に私達夫婦は率先して国語を常用すると共に子供等にもそれを奨励してきました。先ず書物を読む為の修練を積ませることから始めました。子供達が言葉を覚えるのは実に早くて、今では却って子供達から正確な発音を教えられている始末です。
と謙譲な同氏は日頃の愛児たちへの撓みなき訓育振りを押し隠そうとするのだった。そしてなおも言葉を続けて、
私は子供達が国民学校へ入学する前に必ず内地人側の幼稚園に入れて、この一年間は国語を徹底的に吹き込んでいますが、子供達も自然と言葉だけでなく日常の礼儀作法までも純然たる内地式になり、学校へ行っても同級生に模範を示しているらしいんですよ。
あとは”ハッ、ハッ、ハッ”と豪快な笑いに紛らしてしまった。【写真=石川さんの一家】
国語を知らぬは皇民として恥辱
厳然と語る石川亀鶴さん
四つになったばかりの幼児までが国語を常用するという頼もしい”国語の家”。桃花町四〇麻浦鉄道医務室嘱託医石川亀鶴氏(四一)宅を訪れると食膳の支度に余念のないこの家の主婦水仁さん(三七)はエプロン姿のまま流石に流暢な言葉で「いらっしゃい」と迎えてくれた。
家族は青葉国民学校高等科一年の長女英姫ちゃん(一四)、元町国民学校五年の次女仙姫ちゃん(一二)、麻浦国民学校三年の長男秀山君(一〇)、同一年の次男秀雄君(八つ)、三女春姫ちゃん(六つ)、それから蘭姫ちゃん(四つ)の平和な八人暮らしである。
患者治療の寸暇を割いて”国語の家”の部隊長石川氏は国語常用の動機を左の如く語った。
私は国民学校を経ずに中学校へ進んだ為に『国語も解らぬ馬鹿者だ』と随分先生から虐められました。こうした辛い経験をしたので子供から口をきく頃から全面的に私達夫婦は率先して国語を常用すると共に子供等にもそれを奨励してきました。先ず書物を読む為の修練を積ませることから始めました。子供達が言葉を覚えるのは実に早くて、今では却って子供達から正確な発音を教えられている始末です。
と謙譲な同氏は日頃の愛児たちへの撓みなき訓育振りを押し隠そうとするのだった。そしてなおも言葉を続けて、
私は子供達が国民学校へ入学する前に必ず内地人側の幼稚園に入れて、この一年間は国語を徹底的に吹き込んでいますが、子供達も自然と言葉だけでなく日常の礼儀作法までも純然たる内地式になり、学校へ行っても同級生に模範を示しているらしいんですよ。
あとは”ハッ、ハッ、ハッ”と豪快な笑いに紛らしてしまった。【写真=石川さんの一家】